七つ面 「歌舞伎十八番」

2代目市川海老蔵が初演した七つ面とは?

歌舞伎十八番として数えられる七つ面は、姿観隅田川の中にある七つ面という演目です。
しかしこの姿観隅田川の台本が今に残されていないため、姿観隅田川の詳細はわかっていません。

ただ、歌舞伎年表をみるとこの中の清玄桜姫物をないまぜにしたような内容で、この中に七つ面があったようです。
天文5年、江戸市村座において、2代目市川海老蔵の元興寺(がごぜ)赤右衛門で初演しています。

歌舞伎十八番七つ面の物語はこういう物語

面打ちの元興寺赤右衛門が五種の面、尉(じょう)、ひょっとこ、般若、姥、武悪(ぶあく)という面の箱を開けていくというもので、2代目團十郎はこの面を早替りで見せたといわれています。

後には7つの面を使い演じたこともあるということから七つ面と呼ばれています。
明示26年には2代目團十郎が福地桜痴の脚本によって、新七つ面を上演し、昭和11年には市川三升が上演しています。

作り物の面ではなく海老蔵自身が演じていたもの

当時海老蔵は作り物の面ではなく自身が顔の表情で演じていたといわれています。
面の裏に穴をあけて顔だけをだし表情を作って演じたのではないかとされており、般若は角をつけ、髭、まゆなどを付けるなどして豊かに種類の違う面の様に演じたといわれています。

海老蔵は宝生流の能役者のところを訪れ、この家が所蔵していたたくさんの能面を見せてもらい、そこでこの七つ面の演目を思いついたとされており、五つの面はいずれも能狂言で利用されているものです。

近代9代目市川團十郎が演じたこと新歌舞伎十八番となった

七つ面は歌舞伎十八番に選ばれていたのですが、他の十八番同様、上演の絶えていた当時演じられることがありませんでした。
しかし近代になり9代目市川團十郎が明治26年、歌舞伎座において新七つ面を演じ、新歌舞伎十八番とされます。

この時の七つ面は、福地桜痴の脚本によって豊臣秀吉の家来「曽呂利新左衛門」が七つの面を用いて所作事を見せるというものだったといいます。
これはのちに7代目松本幸四郎も演じています。

昭和11年、歌舞伎座において5代目市川三升が歌舞伎十八番として七つ面を演じ、昭和58年、国立劇場で2代目尾上松縁が上演しています。

5つ?7つ?どっちなの?

七つ面は七つといっておきながら5つの面しか出てきません。
星合栄景清には絵本番付が伝損しており、七つ面の場面の絵を見ると面は7つ登場しています。

しかしここでも、蓋が開けてあるのが5つで、面の下に面の名前も書いてあります。
残りの2つの蓋は閉じていてその下に面の名前も書かれていないのです。

2代目海老蔵が演じた七つ面でも、七つ面という外題が利用されたという資料等がなく、7つだったのかどうかも分からないということです。