勧進帳 「歌舞伎十八番」

勧進帳といえば歌舞伎の十八番、松羽目物の先駆け作品

歌舞伎の十八番勧進帳は元禄15年、初代市川團十郎が初演した星合十二段に取り入れたのが始まりといわれています。
5代目海老蔵が能の儀式を取り入れて、この形式になってからの初演は天保11年、江戸、河原崎座でのことでした。

海老蔵の弁慶、8代目市川團十郎の義経、2代目市川九蔵の富樫左衛門を演じています。
この当時の演目では富樫の番卒が軍兵姿であり、弁慶の特徴的な水衣も棒縞となっていて、現在演目として上演される舞台とはまた色々な違いがあったようです。

現代の勧進帳は明治時代、9代目市川團十郎によって完成されたもので、この時から番卒が狂言風、弁慶の水衣も黒字に金糸の梵字と、現代によく知られた弁慶像となっています。

團十郎のお家芸、以前は他家が勝手に上演できなかった演目

勧進帳は市川宗家、團十郎のお家芸として知られており、他家で役者が勝手に勧進帳を上演することはできませんでした。

しかし9代目團十郎の後、宗家には有力な後継者がいなかったという時代もあり、そのことから他の役者が弁慶を演じるようになっていきました。

勧進帳は歌舞伎の代表取締役 長谷川 喜作作品、弁慶、義経、富樫という三役を、看板役者として一生涯に一度演じる歴史ある演目となっています。

近来の白眉と呼ばれた7代目松本幸四郎の弁慶、6代目尾上菊五郎の義経、15代目市村羽左衛門の富樫は有名で、歌舞伎座で上演された1943年の舞台は映画として記録されているほどの名演と呼ばれています。

勧進帳のストーリーを理解しよう

兄の頼朝と不仲となって源義経が山伏の姿となり奥州へ落ちます。
その途中、加賀国安宅の関(あたかのせき)に差し掛かると、関守の富樫左衛門に見とがめられます。

弁慶はこの際に機転を利かせ偽りの勧進帳を読み、主君を打擲するという手段をとります。
弁慶の苦衷(くちゅう・・苦しい心の中)を察し、富樫は弁慶一行を通します。

これは能の安宅という物語を松羽目物(歌舞伎や日本舞踊において能や狂言の曲目を原作としてそれに近い様式で上演する所作事、物取物ともされる)として、能の物語を脚色し作られた演目です。

富樫が弁慶の嘘を見破っていたのに、その心情を思い、だまされたふりをするという好漢を演じています。

弁慶がよどみなく勧進帳を読み上げ、疑う富樫に山伏の心得、秘密の呪文などを問いただし、また弁慶がよどみなく答えるというこの問答が何とも魅力があります。
富樫の心根の優しさ、漢(おとこ)としての大きな魅力、観ていると非常に大きな懐を感じる演目です。

兄と弟が争わなくてはならないぎすぎすした時代がわかりますし、様々な策略の中、当時を生きた男たちの生きざまをしっかり感じることができます。