不動 「歌舞伎十八番」

市川宗家成田山信仰に由来する歌舞伎十八番「不動」

元禄10年、江戸、中村座で初代市川九蔵(2代目市川團十郎)が兵根元曾我の中で演じたものが歌舞伎十八番「不動」の原型とされています。
大詰めになると役者が迫力ある不動明王に扮し出現するというもので、これは市川宗家、成田屋がいかに成田山との親交が深いかその由来を示す芸といわれています。

現在演じられている不動は、寛保2年、大阪佐渡嶋座で2代目市川海老蔵(2代目市川團十郎)が雷神不動北山櫻の5幕目大切りに入れたものが初演です。

この現行演じられている物とは別に、12代目市川團十郎が平成4年に復活上演した成田山分身不動は、原型が異なるので歌舞伎十八番之内とされていません。

初代市川團十郎が成田山に祈ったことが縁となる

元々初代市川團十郎の父が成田山の近くに生まれており縁があったといわれていますが、市川家が成田山を信仰するようになった由来として、子宝を祈ったことが知られています。

初代團十郎は子宝に恵まれず、父と共に成田山に子宝祈願を行いました。
すると翌年、2代目團十郎に恵まれ、すくすくと健常に成長したことを喜び、成田山に報謝し深く信仰するようになったといわれています。

成田山新勝寺の不動明王に祈り、2代目團十郎を授かり市川家を守る事が出来た團十郎は成田山に深い感謝の念を持ちこれを2代目以降引き継いでいるのです。

2代目團十郎はこの報謝を演目にし、元禄10年、初めて不動を演じました。
江戸の人たちは2代目團十郎が演じる不動明王に対し、舞台に向かって御賽銭を投げたといわれています。

上演はしばらく途絶えたのですが、昭和42年に国立劇場のおいて2代目尾上松緑が「雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)として復活し、その中で不動を演じています。

江戸に成田屋と成田山新勝寺が知れ渡った始まり

初代團十郎が初めて演じた親子演目、兵根元曾我ではまさしく市川團十郎が御不動様に祈願したことで長男を得て報謝したことが演目とされており、不動明王をテーマとして初めて歌舞伎で演じられたものです。
成田山に大神鏡を奉納し、この兵根元曾我で不動明王を演じている市川團十郎に向けて、観客が「成田屋」と声をかけたことが現在の市川宗家の屋号「成田屋」につながったのです。
成田屋はその後人気を博し、初代が胎蔵界不動、2代目が金剛界不動を演じた成田山分身不動が大人気となり、これが成田屋市川團十郎、成田山新勝寺の御不動様が江戸に知れ渡り、この深い縁も知るところとなったといわれています。

成田山への御祈願によって生まれたとされる2代目團十郎は成田不動の申し子と賞賛されるほどで、荒事から色男助六まで幅広い演目を名演したといわれます。
非常に信仰が深かった2代目團十郎は成田山で断食修行を行い芸の上達を祈ったといいます。